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薬剤師・杉本 忠嗣が考える薬と体、世界情勢のこと(ブログ)

米、露(当時の帝政ロシア)からアラスカを購入できた経緯。

2025-01-23
1850年代から露の領土拡大願望が、世界秩序を乱していると感じる。
テレ朝20250123
テレ朝20250123
毎日(2022年12/26)余録
日経(2024年2/21)大機小機
静岡(2023年「12/9)大自在
歴史は繰り返さぬも韻を踏む。マーク・トウェイン
その昔は、米と露は、仲が良かった。
その理由は、奴隷解放を巡った国内南北戦争で。露が米(北軍)を支援したから。
一方、南軍を支援したのは、英国。
時代は流れ・・・露は、
トルコ・露間のクリミア戦争で、支援した英仏に負け
1856年露は、財政難に陥り、仲の良かった米国に1867年「アラスカ買収」を持ち掛けた。
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1853年、ロシアは直接オスマン帝国領へ軍をすすめます。「クリミア戦争」です。
開戦当初はロシアが優勢でした。
しかしイギリス、フランスが参戦すると、激戦となりロシアは敗北。
黒海に軍艦を浮かべることすらできなくなります。

クリミア戦争に手痛い敗北を喫したロシアは、国の近代化に取り組みます。
1861年、皇帝アレクサンドル2世は、「農奴解放令(のうどかいほうれい)」を公布しました。
しかし、農奴は、解放されても自立するには土地を領主から買い取らねばなりませんでした。
ほとんどの農民は、領主や政府に対して借金を背負わされてしまいます。
アレクサンドル2世の改革は社会全体に及びましたが、貴族や領主たちの反対にあい、思うように進みませんでした。
改革への期待は失望に変わり、不満を抱えた人々の中にはテロに走るグループが現れます。
その結果、志なかばでアレクサンドル2世は暗殺されてしまいました。
しかし、改革で解放された農民たちはやがて、都市の労働者となり、のちのロシアの工業化を支えていきます。
また次の皇帝の代にはシベリア鉄道の建設が進み、ロシアは極東に新しい海への出口を手にしたのです。
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